希望の轍

大学2年生(20歳)の秋に【PNH合併型再生不良性貧血】という特定疾患の難病にかかり、大学を休学。ATG治療を経て翌春に復学しました。現在は定期通院しながら投薬治療中です。

救急搬送当日

10/20

朝10時ごろ、前日受診した かまやち内科クリニック から鬼電が鳴り起床。

 

先生「あれから調子はどう?まあいいや。

今からタクシーで病院来い。

あ、たぶん入院だからある程度の用意をしてくるようにね。」

 

まあ焦る笑

親に見られて困るものをすべて家から撤去し、寝巻・充電器類をカバンにぶち込んでタクシーで病院へ。タクシーの中で各種バイト先・親・彼女にLINEを飛ばしておく。

 

(たぶん)11時頃病院に到着。

なんか普通に待たされ(みんな焦ってないし大したことないのかと思って安心してしまった)、中に呼ばれる。

 

まず血液検査の結果を渡される。

ここである程度のことを察しました。

 

なんかいろいろ少なすぎね?^^;

 

左側に自分の値、右側に通常値が書かれていたのですが、5項目くらいが明らかに少ないのです。赤血球も白血球も血小板も基準値の半分もない。ある程度真面目に生物の勉強をしていたので、そのヤバさは一目で分かりました。

さすがにこの瞬間から胸のざわつきが半端なかったです。

 

先生「見てわかると思うけど、血液の値が明らかにおかしい。

汎血球減少という状態です。

ここでは原因まではわからないけど、何らかの原因で血球が壊されている、もしくは血球が作られていないようだね。

とても危険な状態なので、ここから一番近い 日本赤十字社医療センター救急車で行ってもらいます。いいかな?」

 

「いや、いいです」って言ったらどうすんのかな?とか思いながら救急搬送をお願いすることに。

と同時に俺が電話に出ないことにしびれを切らした親が病院に直接電話。親も事態の深刻さを理解したらしく、仕事を切り上げて岡山から東京に来ることに。

 

救急車童貞を思いがけず深刻なかたちで卒業することになりました。

 

救急車に乗ってる時のことは正直覚えていません笑

めちゃくちゃ焦りながら親と電話したことだけ覚えています。

 

救急車を降り、車いすに乗せられたまま医者と対面。

「うわ怖そうな人だなー」というのが第一印象でした(全然そんなことなかったです)。

 

検査室のようなところへ連れて行かれてベッドに寝かされ、血を取られながらいろいろな質問をされました。そして

「今からやる検査死ぬ程痛いからね」

「やるしかないのになんでそんな事言うのかな?頭悪いのかな?」とか思いながらうつ伏せに。

「骨髄穿刺」という検査をするのですが、これ、死ぬほど痛いです。たしかに事前に言われないと気絶するな、と思いました。

腰に穴をあけ、骨髄をドリルで削り取る。

また別の記事で書きますが、僕はこれを2回もやられました。

痛いだけじゃなくて死ぬほど気持ち悪いし、二度とやりたくないです。

 

この地獄の検査を終え、晴れて(?)病室へ。

白血球が減少して非常に感染症にかかりやすい状態なので、空気が機械で管理されている「無菌室」という病室でした。

 

そして親が岡山から到着。

極度の混乱の中知り合いの顔をみてほっとしたのもつかの間、面談室のようなところに両親と共に呼ばれ、現状の説明を受けることになりました。

 

医師からの説明は、

・ほぼ確実に「再生不良性貧血」「骨髄異形性症候群」のどちらかである。

・このどちらであるか判断するのには最短でも2週間はかかる。

・「骨髄異形性症候群」の場合は、正直治療は難渋する。

・どちらの病気であったとしても、骨髄移植が治療のファーストチョイスとなる。治療のリスクとして、最悪の場合死亡まであり得る。

 

 

 

死の可能性。

20歳の若輩者およびその両親にとってはあまりにも厳しすぎる現実でした。

人生で始めて母が弱い姿を自分に見せた瞬間でもありました。

 

 

しかし面談室を出た後、僕はずっと笑っていました。

とはいっても両親を安心させようと出した無理矢理の笑顔ではありません。

なぜかは分かりませんが、どうにかなると思っていました。

小さい頃から死ぬことが本当に怖かったのに、いざ自分が死にかけるとそのような気持ちはいっさい消えるのですから不思議なものです。

 

その日の夜、病室のベッドの上でずっとサザンオールスターズの『希望の轍』『ロックンロール・スーパーマン~Rock'n Roll Superman~』を繰り返し聴いていました。